弊社は、昭和27年に京都市中京区で、オフセット印刷工場「サン印刷株式会社」の屋号でスタートいたしました。(初代代表取締役 宮崎久治郎)
設立当初は印刷と言えば文字組版が主体の活版印刷が主流で、けっして順風満帆とは言いがたく大変苦労したと聞かされております。
当時オフセット印刷の市場はまだまだ小さなものでしたが、諸先輩方の努力と技術革新もあり、徐々に商業印刷物がオフセット印刷に移行され、弊社工場も品質に大変厳しい日本最大の大手印刷会社の下請けなどを経て、多くの経験と実績を積むことが出来ました。
おかげさまで当時の京都の印刷業界では「技術のサン印刷」として多くのご支援を賜り、代表取締役の宮崎久治郎は、京都府印刷工業組合の副理事長として、業界発展のために尽くしてまいりました。
弊社のアイデンティティとなる職人魂を大切にした「確かな技術を基盤により良い商品を」は当時に確立され現在に脈々と受け継がれております。
高度成長期には代表取締役に宮崎明夫が就任し、国の政策であった近代化促進法を活用して商業物の大量生産時代に対応し、設備を高速大型化して市場のニーズに応えれるようにしてまいりました。
この設備投資により印刷技術は飛躍的に伸び、当時は大手物流機械メーカーのパンフレット他、出版社の高級美術印刷物を中心に受注し、京都国立博物館・美術館など、全国の美術館の展覧会用の図録やポスターなどを制作して、その印刷技術の高さでお客様からお褒めの言葉をたくさん頂戴いたしました。
また、確かな印刷技術の継承から二代目宮崎明夫も先代に続き、京都府印刷工業組合の副理事長に任命され業界のさらなる発展のために尽力いたしました。この当時からコンピューターゲームが徐々に市場に浸透し、弊社も京都に本社を置く世界的なゲームメーカーのゲームの取扱説明書やパッケージ制作などのお仕事に深く携わることとなってきました。
90年代からパーソナルコンピューター(PC)の登場により、我々印刷業界の仕組みは大きく変わり、職人の経験による品質管理からコンピューターによる品質管理に変わってきております。
弊社はまずデザイン部門に、当時ではまだ珍しかったMacintoshを導入してオペレーターを育成し、次々にコンピューター管理による生産設備を導入して常に最先端技術に注目してまいりました。
2000年には、ドイツで行われた国際展示会に出展された世界初のCTPシステムを関西で初導入、デザイナーから印刷機まで人の手を介さずに印刷版を制作することが可能になり、従来より大幅なコスト削減に成功、業界からは新しい印刷技術として連日見学や取材が殺到いたしました。
世界中のインターネット網が解放され、安価で大容量データの双方向通信が可能になり、PCの処理スピードが大幅に上がったことで、弊社の仕事は紙の印刷から、情報処理技術を問われる仕事に変貌しております。
この時間と距離とコストを節約出来るインフラは、あらゆるビジネスのあり方を変えておりますが、こと印刷業に関して言えば、情報を伝えるスピードとコストがWEBに比べ圧倒的に不利であり、弊社も市場での存在意義を再構築する為に、2006年に代表取締役に宮崎州五(現職)が就任して、新しい時代に向けて業務内容を大幅に見直しました。
カラーコーディネーター1級でもある宮崎は、独自の色再現理論を展開し、自社工場内で行っていたカラーマネージメントをアウトソーシングでも利用可能にして、弊社の製品に対するアイデンティティを守ることに成功。来る世界同時不況に備え、設備が老朽化した自社工場を閉鎖、常に最新設備を更新する大手印刷会社をパートナーとすることにより、より良い製品をお客様に提供出来る体制にいたしました。
ハード部門はアウトソーシングが可能であっても、企画力・デザイン力と言われる物作りのクリエイティブな部分は、自分達で構築したいと言う強い思いから「BUSINESS INNOVATOR」という新たな企業理念を掲げ、WEB・携帯・印刷等がシンクロする「クロスメディアパブリッシング」を実現する為にあらゆる技術情報を収集し、コストパフォーマンスの良い広告や付加価値の高い印刷物を創り続けています。
2009年には社名を「株式会社エス・アンリミテッド」に改名し、自分たちの無限の可能性を信じて、枠に囚われること無く挑戦を始めました。
工場跡地にはハイグレードな賃貸マンション「エスアンプレミア御所北」を建築して、新しい賃貸物件のあり方を市場に提案、入居者の満足度も高く、おかげさまで竣工以来、常に満室の状態が続いています。